5 島のシスター・奄美大島

4月22日

 朝8:50分に沖縄北部の本部港から与論や沖永良部、徳之島経由で20時50分に奄美大島の名瀬港に着いた。上陸すると、鹿児島リコーとか鹿児島銀行と言った看板が目に付いたが、まだ島旅中で沖縄の延長みたいなので不思議な気分だった。

 しばらく走ってオフシーズンの海の家の広い軒下で野宿。夜中でも車がやってきて落ち着かない。石垣島で替えたブレーキパッドもすぐに減ってしまった。そう思うと気分がますます重くなる。もう疲れた。帰りたい。

4月23日

 今日は大島の北部を走る。奄美諸島の南の与論島や沖永良部島も鹿児島県だが琉球の影響が強くのこっているようだが、徳之島から奄美大島はすっかり鹿児島の影響下なので、シーサーはほとんどないし、屋根も瓦風、墓も沖縄の大きい墓ではなく日本風墓。たいしたことはない。本来は島唄等をとっても琉球と同じ文化圏だったのが薩摩に隷属させられて本土色の方が強くなっている。

 大島東部の笠利(かさり)町は、奄美大島に多い「カソリック」ならぬカソリック教徒が特に多い町。だから笠利なのかもしれない。

 町には小さな教会も多くて、集落ごとに教会がある。少し日本離れしている。大笠利教会のアンゼラスの鐘を見る。この鐘はフランスから送られてきたが戦時中幾多の苦難の末に再び笠利に戻ってきた。

 私はカソリック信仰の厚い中南米を半年以上旅してきた。居候させていただいた家もカソリック教だし、インドのゴア(旧ポルトガル領)では教会にも泊まったのですごく興味があり、鐘の下で中南米の旅に思いをはせる。

 すると、中年の日本人女性のシスターがやってきた。ちょうど正午だったので15回鐘を打たせてもらう。そのついでに教会の中に案内してくれた。

 聖堂の中には産まれたキリストを抱くマリア像があったが、その背景が波状になっていた。シスターによれば人生の荒波に負けないようにと言う願いを込めて彫られたものだが、それがカソリック教と奄美の海洋風土が見事にミックス、チャンプルーされていてじつに興味深い。

 そういえばカソリックといえども東欧、南欧、ゲルマン系でもオーストリア、そしてアフリカ、中南米、アジアではフィリピン、インドや中国の一部などなど、と全世界に浸透しているので、たとえば南米ならカソリックとインディへナの土着信仰が少しチャンプルーされたように、少なからずその土地の文化に合わせている事が多い。

 シスターは信仰活動の一環として南米のペルー、ボリビア、ブラジルを訪問した事があり、その話を興味深く聞かせていただく。シスターは奄美訛りのない標準語で落ち着いた風に話す。

 話によれば貧しい国ほど信仰心が厚い。ミサの時に教会に入りきれず、あふれた人々が窓から覗き込んでまで一心におミサをする信者に一番感動しました、とシスター。

 そのかわり豊かなヨーロッパでは信仰、教会離れが想像以上にひどいと言う。考えてみれば日本も同じようなものか。

 そのあとカトリック新聞と言うのを読んでみる。それによると日本のカトリック信者数は50万人弱。日本国民の0.4%が信者。東北や四国では0.1%だが長崎県では4%の65000人もいる。

 教会を出ると、不機嫌だった自分の心も癒されてなんかスッキリ晴れ晴れした気分になった。やはり聖なる信仰の力なのか、教会は不思議なものだ

 夕方名瀬に戻る。那覇ではスクーターで帰るサラリーマンが多いが、名瀬では自転車で帰るサラリーマンの姿が目に付く。

 石垣島はコンビニや広いショッピングセンターが2〜3軒あってアメリカ的だったが、名瀬は同じぐらいの人口の割にはそんなものがなく、個人商店に毛の生えたほどのコンビニと3階建てのダイエーがあるくらいで、沖縄より観光客も多くない封建的な感じの島だった

 それでも大型古本店や百円ショップぐらいはあった。店に入るとピアスした地元の高校生がいてその会話を聞いてみると「115円も120円も変わらんちゃん」などと言いあっていたが、彼らの会話のアクセント、訛りが栃木や茨城あたりの訛りにそっくりなのに驚く。

 中学校の校庭を見ると、日も暮れかけた6時40分だと言うのに鹿児島らしくまだ部活をやっている。沖縄とは大違いだ。あきれたことに7時を過ぎてもまだ運動部員が残ってグラウンドの片付けをしていた。うちの中学校時代でさえ夕方6時で完全下校だったからこれはやりすぎだ。これじゃあ帰ってから宿題する暇もなかろうに。

 男子中学生は今なお丸坊主頭で、学帽までかぶっている。古風な姿がひっそりと今なお残っている。

4月24日

 バス停で目覚める。色々奄美の森の中も走ったりするが、結構枝道も多く道とかもくねっているので目的地まで案外時間がかかり、面積の割に広く感じる。林道の宝庫なのだ。

 21時30分頃鹿児島行きのフェリー、クイーンコーラル8に乗るが、そこもわかなつおきなわ同様船内狭いくせに満員で息苦しくしかも隙間なしの難民船的雑魚寝状態。

 何で高い船代払ってこんなひどい思いをしなけりゃならんのかと思うと本当に虚しくなってくる。

4月25日

 鹿児島に着いた。より朝の空気が寒く感じられる。

 鹿児島市内のカメラ屋でデジカメで撮った写真をメモリーカードからCD−Rに焼き付けてもらう。待っている間ブックオフで立ち読み。興味を引く懐かしい内容のマンガ本があったので2冊買う。

 48MBのコンパクトフラッシュカードが4枚だが、カード一枚につきCDR1枚焼き付けなので4枚になり1500円も取られてムカッと来る。

 しかしそれでも1000枚近く撮れたのでデジカメは偉い。本当に買ってよかった。

 その後市内の城山公園から桜島を見る。南イタリアのソレントから見たベズヒオ火山を思わせるが、4年前来たときと違って噴煙はとても少なかった。当時鹿児島の運動公園でテントを張ったのだが、朝起きたら極粒子の砂のような火山灰がテントとかに付いていた。

 その後はR10を走りつづけて、23時、延岡まで走った。川の中州にはグランドゴルフ場があって、粗末な屋根のついた休憩所があったのでやはり4年前はそこで寝たのだが行ってみると、まったく変わらぬ形で残っていた。うれしい。寝袋を敷くと、4年前の日本一周の旅が甦ってくる。  

4月26日

 R10で延岡から大分へ北上。途中R10からバイパス的役割のR326へ。その道での途中、有名な「ととろ」のバス停へ寄る。そこでのととろの名の由来は嵐がやってきて龍がとどろいた、というからととろになっており、アニメ版とは脈略は全くないのだが、となりのトトロの舞台にふさわしい時間が止まったようなとても静かな山の田舎で、いいととろだった。

 大分の湯布院温泉郷では銀の湯(100円)に入湯。寒かったので暖まる事も出来たし汚い体も洗える。気持ちいい。

 その後は岩下コレクションと言う昔の道具やバイクを展示した博物館に行く。

 目的は、世界一周をした「うひょ」こと荒木利行さんのバイクを見るためだった。

 うひょさんのバイクはなんと20万キロも走っており、めちゃくちゃボロイのだが、傷だらけゆえに過酷な世界一周を無言のうちに物語っていた。

 その他にもどろどろに汚れ破れたジャケットやパスポート、装備品、粉薬のように盛られた世界中の砂など、数多く展示されて、植村直己のように威厳を感じてふだんうひょさんとお会いする時と違って、まるで彼がスーパーヒーローに見えた。

 寄せ書きのノートを見るとみんな圧倒されてうひょさんの世界一周を褒め称えていた。日本では散髪代がもったいないと言ってバリカンで坊主にしている(笑)うひょさんからは想像つかない英雄ぶりだった。

 夜は、大分市のR10沿いの博多長浜ラーメンのチェーン店で食事。九州ラーメンの店は今日全国どこにでもあるのだが、麺をお代わりできる替え玉と言うシステムがあるのは九州ならではだ。

 しかもこの店は平日は替え玉無料。貧乏ツーリングにとっては神のような存在だ。日本では外食嫌いの私だがこういう店ではしっかり入る。

 1玉分は少ないので他の客も遠慮なくさらに1玉は替え玉する。そんな中私はどんどん替え玉。、5玉や6玉はいけそうだったが、無理して食べてもつらいだけなので腹十分の4玉でやめにする。玉をお代わりするうちにスープの味も薄くなってくる。

 しかし店員曰く、ある客はやせているのにダブルでラーメン注文、なんと26玉も食べたそうだ。とはいってもテレビに出るような有名人でもない。女子高生でも店の顔なじみになれば5玉は平気で食べると言う。

 別府のフェリーターミナル駐車場で野宿。

4月27日〜29日

 大分佐賀関からは国道フェリーで愛媛県三崎港。今治から尾道までしまなみ海道を走る。

 しまなみ海道は全て橋で連結されているので走って本州四国を行ける。

 そしてしまなみで一番恩恵を受けているのは原付と自転車である。自動二輪や車になると高速道路のほうを通らなければならないのであっという間に通り過ぎてしまうし、その上通行料金が高い。

 だけど原付なら7つの橋を通ってもたったの510円しかかからない!四国から大島間の全長4.1kmの橋でも200円だからなんと安い事か。ものすごく得した気分になる。

 その上それぞれの島、そして無人島まで寄る事が出来るのでもう言う事なしなのだ。だからサイクリングの自転車や地元の原付がわんさか通っていた。地元の若者のバイクもCB125Tだった(笑)

 特に愛媛県の大三島は印象深かった。5年前来た時は大三島から広島県の島まで橋がかかっていなかった。だけど橋が出来たおかげで大きい道の駅は出来て観光名所になるはコンビニは2件も出来るはで大きく変わっていった。

 17時30分尾道からは埼玉へ向けて一気走り!もう早く帰りたいし、蓄積されたストレスを最後に思いっきり爆発させるためにも一気走りだ!

 ひたすら夜のR2走って姫路からはR372を通る。R372は大阪や神戸を迂回するので時間がかからなくていい。

 夜中の一時にそろそろ眠くなったので京都・亀岡で野宿。526km走った。8時にはまた走り出す。東海道を走って厚木から北上。15時間連続589kmでへとへとになって埼玉の自宅に29日の23時についた。

                        (完) 

 
スズキ GN125E 1989年式

2002年 3月13日〜4月29日  47泊48日

走行距離 7676km 燃費 約 39km/L
総費用  195,600円
 	 
フェリー代(15回乗船)  80,935円
ガソリン代   20,261円
宿泊費(キャンプ、居候)  11,600円
食費、土産、その他	  82,804円







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