■前口上■           by アフロあきら

●今までの常識を打ち破る、アフロな価格破壊ツーリングの怪人、それがアフロあきらじゃい! ●2000年2月から2001年6月までジェベル125で世界一周!ユーラシア、南中北米を走破!125ccというカテゴリーのバイクで世界一周したのは(おそらく)アフロあきらが日本人初! ●今回の沖縄ツーリングは4年前の日本一周のリベンジ。いまや走行8万キロの老朽バイク・スズキNG125、じゃなくてGN125で沖縄へ。度重なる旅で金欠状態ゆえ新しいバイクが買えず、なんとGNには高校時代から乗っているのじゃあぁ。 ●今回の旅はカソリさんの追っかけを兼ねた放浪記「裏・島編日本一周!」賀曽利隆にアフロズラをかぶせる使命を果たす事が出来るか! さあ沖縄の旅はどうなる事か?はじまりはじまり〜。

【旅の期間】 2002年 3月13日〜4月29日


  【CONTENTS】

1 いろんな有名人と出会う 沖縄本島
2 島の高校生からバックパッカー迄 石垣・波照間島
3 新たなる相棒 ・ 西表島
4 爆笑・百円軍団! 宮古列島
5 島のシスター ・ 奄美大島
              



1 いろんな有名人と出会う 沖縄本島篇

3月13日

 夜通しで世界一周紀行紀「STK 1」の原稿を書き終えたのが夜中の1時。その後すぐに沖縄行きの準備にかかった。

 そのまま朝の3時に埼玉の自宅を出発。夜中なので途中ガス欠しながらも朝の6時30分ごろ埼玉と山梨を結ぶ標高1000mの雁坂峠にある雁坂トンネル(1998年4月に完成の6600mの日本最長の国道トンネル)を通ったら、気温はなんと−3℃!

 震えながらもきっと沖縄は夏じゃ、暑いぞー!、ともろ期待するのであった

 長野や岐阜、京都(中仙道)を経由してガンガン走り、大阪南港についたのが21時10分。なんと18時間、637kmぶっつずけで走ったのだ。

 南港のターミナルには友延秀雄さんと、おなじみ渓流浴ワニーさんが駆けつけてくれた。二人とも南港の近くに住んでいる。「飛龍友の会」の会長でもあるワニーさんは250ccで世界一周したこともある人だし、ヒデオさんは来月4月からラテンアメリカとカリブ海諸国をバイクで回るのだ。しかも750ccのゼファーだ。そのゼファーに試乗してみると、ナナハンの割には乗りやすかった。大型バイクの中でも一二を争う乗りやすさであろう。

 話はそれたが、彼は以前にもキューバに居たことがあるのでキューバ大好きだし、スペイン語も堪能だ。ワニーさんといい、ヒデオさんといい私といい世界を駆けるすごいスーパーグレートなつわもの三人衆が南港に集結したのだ!

 23時50分、沖縄経由台湾行きのフェリー「飛龍21」は出港。寝室のほうはユースホステルのようなつくりである。学生などの旅人でいっぱいだ。船は外洋のため大揺れにゆれたのでベッドの中で寝そべってひたすら耐えた。 

3月15日

 二時間遅れの9時30分那覇新港(安謝新港)入港。曇っていて生暖かい潮風がふく。沖縄初上陸!

 ターミナルには今度は西牟田靖さんがやってきた。彼はタリバン占領下のアフガンにも潜入した為、朝のワイドショウにも出演できた、すごすぎる人なのだ。

 正午に新港に近い彼のアパートに入る。とはいっても彼の友人(留守中)のアパートなので私は居候のさらに居候という身分になる。それでもずーずーしく8日間も泊めさせていただいたのである。感謝。

 そのアパートは1DKで、家賃3万円。ベランダには囲いの中にシャワーがあった。真冬でも気温が10度を下回らない那覇ならではだが、本土だと凍えてしまうわい。沖縄には文化的にも、冬は寒い本土と違ってあまりバスタブ、風呂がない家が多いように思える

 夕方にしむたさんの案内で、二人のりして北谷(ちゃたん)町にあるイラン風喫茶店に行く。このあたりは嘉手納基地が近いのでショッピングセンターなどもデカイ。アメリカそのものだ。

 そのなかにあるイランの喫茶店は、夫がイラン人、妻がウチナンチュ。イスラム教の国イランでは偶像崇拝を禁ずる分、幾何学な模様のデザインが発達しており、名物のカーペットを見たりして西牟田氏とイランを懐かしむ。

3月16日

 那覇の国際通りを歩く。旅の若者が自作の詩集など売っていた。まるでアジアの風情だ。

 マチグワァー(市場)にはいると、おばぁたちが野菜やら衣料品やら売っているのだが、その商品配置のレイアウトといいおばぁの彫り深い表情といい古びた風情といい、ボリビアの首都ラパスのメルカド(市場)そっくりほうふつさせる。ラパスの場合でも富士山と同じ標高の厳しい環境の下で彫り深い重厚なセニョーラ(おばさん)が同じように売っていたので、またラパスに行きたくなってしまった!

3月17日

 今日は観光。本島南部の喜屋武岬、ひめゆりの塔、斎場御獄を回った。夜は西牟田氏とともに大型スーパー・マックスバリュの隣の居酒屋でさとるさんに会う。西アフリカをバイク(ホンダ250バハ)で回ったさとるさんは現在中学校の技術科の先生をしている。

 思春期の難しい年頃の生徒を相手にするのだからとても忙しく大変な仕事だが、中村雅俊に似ているカッコいい先生なので生徒にモテるんじゃないですか?とアフロらしい事聞いたら、そんなにもてませんよと言われた。口ではそういっているけど、バレンタインの時も女生徒から結構チョコもらっていたりしている。

 さとるさんの場合、アフリカを旅したことを生徒に話したりするので海外ツーリングも役立っているが、やはり教師と言うものは大学卒業してすぐになるべきではないと思った。いろんな経験したほうが生徒に対する教え方や接し方とかも全然変わって来ると思う。

3月18日

 ついにわれらのカソリさんが沖縄本島や周辺の島巡り「島編日本一周」を終え、那覇に戻るので新港のターミナルで待ち伏せる。その船の出港が18時なので16〜17時ぐらいに来ると思ったが、港に来たのがなんとギリギリの17時30分!だけど運良く出港が19時なのでほっとしたようすだった。

 かねてからむたさんと計画していた「アフロユニット計画」に実行じゃ!この日のために私はアフロズラ3人分持ってきたのだ(ばか)

 カソリサンは時間がなくあせっていたので乗り気でなかったが、なんとかあのジャクソン5にも匹敵するアフロ三人衆が撮れてよかったわい。  

3月19日

 夜、にしむたさんとドリフ大爆笑を見ていると(笑)、携帯電話が鳴った。貧乏自由人(以下貧さん)から電話だ!貧さんもGN125を乗り続けており、アフロあきらのライバルとも言える人物だ。明日には到着するようだ。

3月20日

 今日は本島東部、具志川市から海中道路を走りその先の平安座島などを目指す。島には石油基地があるせいか片側2車線のハイウェイのような海中道路になっており、フロリダキーズのそれよりも立派な道路だった。有明湾のように浅瀬が広がるので海の中を走っている雰囲気ではないがそのために建設費はさほどかからないのだろう。

 海中道路の途中で分岐になり、そこから南の浜比嘉島にも行ける。浜比嘉島はつい最近橋がかかるまでは離島だった。

 そのためか夕方バイクを降りて案内板を見ていると、小学校低学年ぐらいの女の子二人が寄ってきた。

「おじさん、どこから来たの?」

 思わず「おじさんはやめなさいね!」と言ってしまったが、まあボウズにひげのばしたまんまだし、汚いライダースタイルだったのでおじさん呼ばわりされてもしかたがないか。というか普通だったら近寄らんわな。だけど二人はえらい!よそ者を警戒しないあたりがこの島にいいところが残っている。来てよかった。

 早速アフロをかぶったりしたが、私のデジカメを見せると早速好奇心いっぱいにいじり始めた。「好きなだけつかっていいよ」そのあと2人をGNの後ろに乗せてやると喜んだ。そういえばパラグアイで居候していた時も子供を2人後ろに乗せて走ると喜んだ。

 3人乗りで集落の中を走り回る。小屋の中で魚やいかを売っている老人も、静かに私たちを見守っていた。すぐ近くの空き地では数人の男達がピクニックのように酒盛りをしていた。

 忘れられない島だった。

 夜、那覇に戻り、またマックスバリュに呼んで貧さんと会う。原宿でも一度出会って以来だ。鹿児島まで自走してきた。彼の奇妙なところは、男を辞めたとかほざいて、「中性宣言」をしている。中性とはいってもおかまやゲイとは違う。見かけはやや男性的な中国人女性といったところか(笑)彼のGNを見ると、55000kmも走っているのにとてもピカピカにお嬢様のように手入れされている。

3月21日

 にしむたさんとの居候生活を中断して、沖縄本島北部を目指す。本島北部、名護や本部のほうに行くと「アルゼンチンチキン」とかアルゼンチンステーキ、ペルー料理やコロンビアコーヒーなど、南米帰りの元移住者が経営する店が多い。

 そういえば、今帰仁の運天港にはレンタカー屋さんがあったけど、軽で3000円だった!本島で運天(運転)する伊是名、伊平屋島民向けとあってばか安!

3月22日

 夕方、沖縄北部やんばるの国頭村の道の駅で貧さんが待っているので北へ走るのだが、R58を北上していると前方には不気味な黒雲が。

 ドッカ〜ンと雷が鳴り響くが、ピカッと光った時に海を見ると一瞬昼間のように明るくなり、すごい迫力ゆえにカッコよくすら思った。

 道の駅では二人で建物の裏で野宿した。現地の人も好意的でありがたい。しかし嵐のような雨が降っているので軒下で寝ても雨が入り込んで寝袋がぬれてしまう。その上生温い南風から北風に変わったので急激に気温が下がり、小用をしに寝袋を出るともう寒くて寒くてたまらない!

 こんな突然予期せぬ寒さゆえに、氷点下3℃の雁坂峠以上に寒く感じた。

 沖縄北部のやんばるは、人々も大和人と違った顔つきで、キング・オブ・僻地なので素朴で飾らないので外国ツーリング気分。ある人が言うには韓国よりも沖縄のほうが「外国らしい」とのことだが、頷ける気もした

3月24日

 那覇にもどるとパレットくもじ(デパート・リウボウの前の広場。沖縄では渋谷109のような代表的な中心的広場)では琉球舞踊・エイサー、よさこいなどのイベントをやっていた。そして緑ヶ丘公園では喜納昌吉のライブがやっているので見に行く。前座には学生などによるエイサーが行われていたが、日本とも中国とも違う衣装に踊りと言い、紙ふぶきが舞ったりして力強い。普段いろいろ苦しい立場の沖縄でも、この日は華やかにいこう、という海洋国家沖縄らしい豪快さがあった

 そんな時、キックボードに乗った白い服着たおっさんが観客の間を走り回っていた。実はこの方が喜納昌吉氏なのだ!喜納昌吉といえば沖縄,そして日本, アジアを代表するアーティストなのだが、

 演奏前にキックボードで走り回っているあたり、変なプライドも無くのびのびとした人で、本当にすごい人だ。

 そして喜納昌吉のライブが始まった。ハイサイおじさんハイサイおじさん〜♪とどんどんテンション高くなりみんなが、まるで霊がのりうつったように踊りだしたらもうとまらない!ええじゃないかええじゃないかのような踊りまくりのトランス状態になっていった!

 みんなが狂ったように踊っていて、こんなの今までに見たことない! やはりカリスマのなせる技であろうか。気がつくとアフロあきらもその中に入ってしまい、アフロらしく70年代ディスコ風な踊りにしようもくそもなく何がなんだかわからなくなるうちにのみこまれてオルガスム(絶頂)を迎えた。

 そして喜納昌吉のライブが終わると、閉会式になり、静けさが戻った。そのころ沖縄のカリスマは露店でぜんざいを食べていた。(笑)その時にはライブの時の狂ったような素顔は無く、無言で冷静な感じなのでその変貌振りに驚く。だからためらってしまったけどアフロと一緒に写真をとらせてもらった。

 そして、アフロで踊っていたので女の子が集まってきた!祭りの余韻が抜けない女の子たちはアフロを遠慮なくいじくりまわしたりで大騒ぎ!いやー最高!

 こうして思った事は本土と違って沖縄の子供、とくに女の子は元気いっぱいだ!ということ。なんかラテンアメリカやアジアを旅したと時と同じような感じで元気さが甦ってくるのだ。

 マチグワーなどで働く女たち、長生きするおばぁといい、沖縄の女は小柄だけど強くて元気いっぱいなのだ。


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